岡崎テニス協会
(岡崎市スポーツ協会加盟団体)
OKAZAKI Tennis Association
岡崎テニス協会のあゆみ
昭和28年 日本勧業銀行(現 みずほ銀行)の斎藤、日本レイヨン株式会社(現 ユニチカ)の田渕、株式会社三龍社の本田、当時中学生であった吉田正志(現 岡崎テニス協会名誉会長)の4人が岡崎公園テニスコートでプレーしていたのが岡崎でテニスが行われた最初である。
昭和37年 吉田は、当時愛知県下唯一のテニスクラブである名古屋ローンテニスクラブで共に練習していた谷沢、松野、猿橋、玉井、大峠と岡崎ローンテニスクラブを設立し、これが岡崎テニス協会の前身となった。
その後、浅井武五郎氏(元東海テニス協会会長)との交流を得、協会活動の大きな指針となった。
昭和39年に、「第1回 岡崎市民大会」を開催、翌40年会長に当時東レ モノフィラメント 岡崎工場長の伊佐治五郎氏を迎え、「岡崎庭球協会」を設立し、岡崎市体育協会に加盟した。
昭和59年に前愛知県知事 仲谷義晴氏が名誉会長に就任し、岡崎公園テニスコートでテニスに興じる姿は、普段の重責、重職を離れての姿として思い出深い。
その間もテニス合宿、初心者講習会等の開催を重ねてテニス人口も年々増加した。初心者講習会は平日教室、土日教室と発展し、当時全国でテニスの普及活動を展開していた朝日生命 厚生事業団の協力を得て、元デ杯監督 森 清吉氏と、全日本ランキング上位選手によるテニス教室を毎年行うに発展し、それが今日の岡崎テニス教室の礎となった。
その後は、福井 烈氏によるテニス教室も行われ、現在も福井氏との交流は続いている。
当時初めて開催した市民大会は、マウントフジ杯、バンクラフト選手権、岡崎テニス選手権(BS)とタイトルを変え52回を数えるに至った。現在は年間10大会を主催、主管している。
昭和59年「岡崎テニス協会」に改称し、現在に至る。
目的
岡崎市におけるテニスの普及 発展に努め、協会加盟員の技術の向上並びに体力の向上、および、健全なるスポーツ精神を通じ相互の教養を高め親睦を図る。
役員
・会 長 吉田 久史
・理事長 吉田 健志
・理 事 池田 尊穂
・理 事 太田 明
・理 事 吉田 貴志